曲を作る手法は人様々らしく、まずメロディーができそこに歌詞をのっけるというやり方もあれば、まず歌詞がありそれに触発されてメロディが生まれるということもあるでしょう。おそらく後者の方が圧倒的に多いのではないかと思います。もちろん同時並行的に進行する曲作りというのもあるかもしれません。メロディをのせる過程で都合の良いように詞を変えるというように。(映画の撮影現場でリアルタイムに書き換えられていく脚本のようなイメージ)
中学生の時に音楽の先生から教わったことがあります。「言葉には特有の抑揚があるので、これに逆らわない曲作りをすると聞いていてとても心地よいものになる」と。その時、音楽の先生が好例として挙げたのが吉田拓郎でした。外国の曲に日本語の訳詞を載せて歌うとき、どうしても違和感を感じる部分が出てしまうのは言葉の抑揚とメロディがマッチしない場合があるからです。アナ雪でもそうですし、オペラもそうです。それは仕方のないことですが。
さてこんなことを書き始めたのは、本日、作曲家の筒美京平氏が死去されたというニュースがあったからです。非常に長期間にわたって日本の歌謡曲を牽引したその業績はちょっと信じられないほどのもので、誰でも成長過程のどこかで、彼の曲のお世話になっているはずなのです。世代によって思い出す曲は異なるでしょうが、私が好きな曲は「木綿のハンカチーフ」そして「海を抱きしめて」です。前者は誰でも知っている曲ですね。ちょっと悲しいテーマをイ長調で軽快に走らせているあたりが不思議に忘れ難いほろ苦い印象を残します。後者は中村雅俊主演のテレビドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」のエンディングに流れた曲です。この曲はドラマの印象と結びついて心に染み込んでおり、「生まれてこなければ良かったなんて、心につぶやく日は・・・」という冒頭部分を口ずさむだけで熱いものが今でもこみ上げてきます。詞だけでは泣けない。メロディだけでも泣けない。でも二つが合体すると、涙腺をくすぐってくる。もっと言うと、実際に声に出してこの歌を歌うとポロポロ泣ける、そんな感じでしょうか。そこに違和感はまるでありません。ことばがはじめにあり、そのことばの持つ音楽性をただなぞっただけ、とすら感じます。
偉大な作曲家のニュースから、とりとめのない文章になってしまいました。今日は彼のつくった曲を聴いて静かに偲びたいと思います。