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読書週間(8) カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』

戦後文学とくくられる小説群があります。日本が先の戦争に敗れ、全く新たな道を歩み始めたとき、いったいあの戦争とは何だったのか、自分はそれにどんな風に関わりまた関わらなかったのか、極限の状態を経験した者たちが、想像力をも駆使して、文学へと昇華させていった・・・。それは実に重くて暗いイメージのつきまとう緊張した世界だったように思います。こころざし半ばに死ななければならなかった同時代の仲間たちの「死にたくない・死にたくない」という悲痛な精神を一手に引き受けて、そのものたちに代わって自分が書く・・・戦後文学を代表するある作家は「精神のリレー」という言葉でその決意を語ったものです。

さて、『スローターハウス5』はドレスデン爆撃を生き延びた作者にとってのまさに戦後文学であるはずです。しかし日本の戦後文学にあるような陰惨で重苦しい雰囲気はありません。それどころか、戦争体験を文学的に昇華するこんな方法もあったのかと驚かされます。アメリカ人の受け止め方と一般化してはいけないのでしょうが、 1945年に精神的な断絶を経験した日本人と、基本的には断絶を経験していないアメリカ人というフィルターには一応かけておかねばならないかもしれません。

彼の小説を読むと何か活気づきます。なぜでしょう。例えばこんな文章はどうでしょう? 

「トラルファマドール星人には、宇宙は明るい光の点をちりばめた暗い空間とは見えない。彼らは、ひとつひとつの星のこれまでの位置、これからの位置を手にとるように見わたすことができるので、空はか細い、光るスパゲティーに満たされている。またトラルファマドール星人は、人間を、二足の生き物とは見ない。彼らの眼には人間は長大なヤスデ――「一端に赤んぼうの足があり、多端に老人の足がある」ヤスデのように見える。」

光るスパゲティーに満たされた空! 運命の大波の中でじたばたする地球人が描かれれば描かれるほど、不思議なことに、あわれな主人公に親しみがわいてくる不思議さ。作者の魔術にはまる快感。本物の小説。

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